その店に想いを込めて
一件の居酒屋が店を閉めた。
十数年通った道のりに、今は足を向けることもなくなってしまった。
思い起こせば、よく飲み、よく騒いだ。
多い時には、週に2度や3度集まり、騒ぎに騒いだものだ。
仲間たちの、たまり場とはこの店の事ではなかっただろうか。
仲間と遊びに行けば、その帰りに必ずこの店に集合した。
土産があるぞと声を掛ければ、ぞろぞろ知人が集う。
そんな時の店のマスターは、必ず笑顔で迎え入れてくれた。
仲間の一人は「この店はうちの台所だよ」と豪語するほど通っていたが、
彼は台所を失ったことになる。これも不憫な話だ。
店の前の電光看板がとうとう姿を消した。
赤く夜空を照らす道しるべは、遠い昔の思い出として消えてしまった。
「寂しい…。」
店の雰囲気も、あのお通しの味も、忘れることはできない。
まして、マスターの膨らんだ腹と、あの大きな声は…。
書けば、いくつも思い出が蘇る。
大晦日の年越しそば、釣った魚の旨い事、無理を言ってさばいた蟹の味。
鯖のへしこは、マスターの焼き加減が一番だった。
もうこれ以上、書くのはやめよう。想いが悲しみに変わってしまう。
さあ、今度はマスターを肴に大騒ぎをするとしよう。
きっと、ため息まじりの酒になるだろうが、それも一献だろう。
よし今夜も「生一丁!」その声を胸に、夜の街に繰り出すとするか。
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