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思い出は神楽坂の小道

  

身内の話はあまり好まない。勿論笑い話はちょくちょく書かせてもらうが、それは飽くまでも笑いのネタに使う。

そんな思いの中でも、ふと今は亡き母親が神楽坂にいた頃を思い出した。

「田舎から出てきて、暫くの間、神楽坂で働いていたことがあるの」初めて聞いた母の生い立ち。しかも結婚前の話を口にしたのは私が還暦を過ぎた頃だった。

一度行ってみたいという言葉に、もう足腰も動かなくなる前にと考え、神楽坂の道々を年老いた老婆の歩幅に合わせて散策すると、「ほら、あのあたりだと思うよ。私の住んでいた場所」。

路地の奥を指差しながら数件先に目を凝らす。「この場所は昔花街だったのよね。お妾さんの身の回りの世話をしていたの。」子どもには話しづらい内容だろうが、聞く子も理解できる年齢になったと思ったのだろうか、一度も聞くことのなかった思い出話を母は語り出した。

お妾さんの家となれば、男女の複雑な関係も耳にしたことだろう。茨城の田舎から出てきた小娘が、どんな事情でこの場所に足を入れたのか、決して楽しい思い出だけではなかったと思うが、母の目線の先には石畳みの先に浮かぶ思いしか映らないようだった。

しかし、気丈な母だった。息子3人を育てるには、根っから肝っ玉でなければ無理な話だろう。言う事も聞かないバカ息子をここまで育てたのだから当然だろう。

そうだ、確か妻と三人で食事をした時、急な階段の手前で妻が手を差し伸べると、その手を払いのけた時があった。なんて親なんだ、と目線を交わした妻と私は何とも言えない違和感を覚えたものだが、それが母にとっての生き方だったのかも知れない。

「蕎麦でも食って帰ろうか」との投げかけに名残惜しそうに歩む坂道は、楽な道ではなかったが、決して息子の手を借りようとはしなかった。

96歳にして他界した母だが、今頃天上で見つめるバカ息子の薄くなった頭頂部を見ては、「お前も年を取ったね~」と唸っているのだろうか。それにしても、神楽坂の蕎麦屋「九頭竜蕎麦」で一杯やった時、「お前はこんなに高い酒を飲んでいるのかい」と指摘を受けた事がある「だって、支払うのはお袋だろ」そんな言葉に「馬鹿だね~。お前は」と言う言葉の波長が、妻の「馬鹿だね~」によく似ていたのだ。

実はその時、何だか背筋が寒く感じたのだが、それも後の祭りかもしれない。


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