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戦争特集3部作その1

  

今年もそろそろ8月15日。終戦から66年になります。
世界恐慌~ロンドン海軍軍縮条約~満州事変~五・一五事件~二・二六事件~盧溝橋事件。と戦争の発端となる事項は、現在歴史で容易にわかります。

戦時下の市民生活が映像などで残ってますが、「なぎなたの練習」武道が正課として、高学年の女子は「なぎなた」の練習。
「火たたき棒」火災が起きた時、延焼を防ぐため火たたき棒を肩に校庭を行進する自警団。なんとも情けない!どう考えても勝てる訳がありません。

今回は以前お約束したように戦争特集として趣向を変え、3部構成にてお届けします。

「満州事変においては、日本国内にも相当有力な反対意見もあった。それを容れる柔軟性があった。
だが「非常時」の呼び声と共に、国家や民族を中心とする道徳のタガが次第に強められ、締め付けられ、その中で国民大衆は身動きできなくなった。
                (中略)
こうした傾向は、昭和十五年十月大政翼賛会の成立とともに絶頂に達した。
日本人の頭が内面的に、これほど完璧に近く統一された例は、日本の歴史において空前絶後だと言っていいだろう。
ほんとうは、大多数国民の積極的な賛同と支持のもとになされたことは明らかである。
国民をそこまで導いて行ったことの責任は、もちろん軍部とこれに便乗した政治家学者・思想家にある。
それもはじめは強制に近い形で国民をひきずって、異分子に対して合法非合法の威嚇的手段を弄したことはいうまでもないが。
後には国民の大部分が、これに自発的な協力を惜しまなかった。
戦争中の町会や隣組の動きにも、単なる強制では植えつけることの出来ない熱意が感じられた。
太平戦争の開戦当時、仮に投票の形式で民意を問うたとすれば、賛成意見は驚くべき高率を示したに違いない。」
(大宅荘一著「戦争と敗戦によって試された日本人のモラル」から。)

○日露戦争に勝ってしまった事が、日本人を誤った方向に向かわせてしまった。
○統帥権の解釈。
○朝日新聞主筆の池山三山の主戦論。
 東京日日(のちの毎日新聞)は全社をあげて反戦論を展開。朝日が売れ毎日が部数を減らしたのはこの時からだそうです。(司馬遼太郎 氏談)
(当時陸海軍とも勝ち目はない、五分五分になれば、ルーズベルト大統領に予め頼んでおいて、水を入れてもらおうと考えていた)
○ニュースの速報性は当時ラジオが勝り、新聞は後追い記事になりがちで、部数を伸ばすために、軍部からの情報に頼るようになってしま い、結果軍部の提灯記事が中心になってゆきました。

しかし当時の政府が、軍部の言いなりになってしまった事が一番大きな原因ではないでしょうか。
売らんがためのマスコミ、政治家と企業の癒着、現在も何らかわりがありません。

歴史を知ることにより、同じ過ちを繰り返さず、私たちが振り回されないようにする事が生き残る知恵ではないかと考えます。


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