「たわら寿」さんからの嬉しいコメント
今日はとても嬉しいことがありました。
以前3月12日付で、福島県廣木酒造本店 「飛露喜」について書かせてもらいました。その文章は、栃木県大田原市の「たわら寿」さんのhpから引用したものでした。
その文章を見て、「たわら寿」さんから、「懐かしい記事を、再び目にすることが出来て嬉しいです。初心に帰る、という気持ちが湧いてきました。」
と、コメントをいただきました。
感動ものです。一度もお会いしたことのない「たわら寿」さんから、返事をいただいて、そしてまた私が返事を書く、そんな繋がりがネットの中では広がるのですね。
その時の文章を、再度ご披露します。

そのころ廣木酒造本店をテレビ局が取材した。「将来、子供たちに『お父さんは昔、こんな仕事をしていたんだよ』と話すのもいいかな」。そう思って受けた取材は、ドキュメンタリー番組として放送された。
番組を見ていた。地酒専門店「小山商店」の社長から電話で励まされた。「うまい酒を造れ」。試しに造った酒を送った。「この味では、首都圏では勝負出来ない」。厳しい言葉が返ってきた。
当時、日本酒の世界では「十四代」が新風を巻き起こしていた。評判を聞きつけ、初めて口にした廣木健司さんは、奥行きのある味に圧倒された。「こんなうまい酒は、おれには造れない」。悔しさが、逆にバネになった。
酒米の五百万石を大吟醸なみに削った。酒米を水につける時間をタイマーできっちり計った。可能な限りの投資をし、蔵の設備を新しく変えた。「喜びの露が飛ぶ」。そんな思いが込められた酒は、口に含めば、うまさが小宇宙のように広がる味に仕上がった。
99年、こうして出来た「特別純米無ろ過生原酒・飛露喜」を小山さんに送った。小山さんからの返事は「100本もらおうか」。3日後、「またもらおうか」。相次ぐ注文にラベルを印刷に回す余裕はなく、母親の浩江さんが一枚一枚、「飛露喜」と筆で手書きした。
毎日書き続け、母親はけんしょう炎になった。
1999年突然現れた “飛露喜” は、瞬く間に地酒ファンの間で噂になる。
現在、「飛露喜」は引く手あまたで、蔵にも在庫はない。「一歩でも自分の酒造りの質を向上させたい」と、毎年夏には少しずつ蔵を改修。席を見据えた酒蔵造りにまい進している。一升瓶のラベルの文字は蔵元のお母さん、廣木浩江さんの手による。
何度読んでも「いい文章です」
「たわら寿」さんのhpはこちらです。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tawara/
こんにちは。
月の明かり様、私からのコメントが「嬉しいこと」だなんて。
こっちが感動しちゃいます。
ありがとうございます。
本当に良い文章ですね。
・・・で、私が書いた文章の原本は「朝日新聞福島版」からの抜粋です。
やはり、プロの方の文章には、人を感動させるパワーがありますね。
私も、感動し、それを自分のHPでほかの人にも伝えたいと思い、
抜粋して記事にしました。
(朝日新聞様に無断だから怒られちゃいますね。)
それでも、ここにきて月の明かりさんと繋がりができたこと、
やはり、この文章の持つパワーに惹きつけられたとしか言いようがないですね。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。