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奄美酒類(株)「牛神」で一杯

  

病魔もゲホゲホと咳と共に何とか逃げ去りました。

回復後の第一段は、黒糖焼酎で、喉を湿らせます。その走りの一言は、歴史をさかのぼります。

安政の大獄が起こり、嫌疑を受けていた月照を隠匿させるために鹿児島に帰り保護を求めたが藩は応ぜず、悲嘆した西郷は共に海に身を投げ、月照だけ絶命してしまう。
藩では西郷は死んだものとして菊池源吾と名を変えて奄美大島に流した。

船でしか行き来できなかった流刑の地から考えるに、本当に便利になりました。
今では東京から飛行機で直行です。

郷土料理“かずみ”にて、壁に掛る小栗康平のサイン「なつかしき奄美」。
もしやあの「泥の河」で有名な映画監督!

女将の西 和美さんは島では有名な唄者の一人で、彼女の元には若者が島唄を習いに集まってきます。
昨年奄美民謡大賞を受賞した、里 歩寿(ありす)さんは島の中心地「名瀬」に住み、唄者の西さんや築地 俊造さんに教わります。

4歳から始めた里さんは人一倍高い高音の響きが気持ちいい17歳です。

島唄は島の文化と歴史でもあります。
91歳の森 チエさんの唄う”長きく節”。
背筋がシャンとして、声量も驚くばかり、とてもお元気です。
大きな声を出して唄うのが長寿の秘訣でしょう。

「上手い下手ではなく、唄には心がこもっていることが一番」とおっしゃります。

譜面はなし、しかも同じ曲に複数の歌詞が存在する島唄。
三味線のチューニングはオ・ジ・サンと3本を自分のキーに合わせます。
「長雨切上節」「よいすら節」は何故か懐かしい、魂を揺さぶるメロデイーです。

元 ちとせ・中 孝介はこんな風土に育ちました。

西郷 隆盛は一度帰藩を許されるが、二度目は徳之島へ流罪を言い渡される。
さらに沖永良部島への遠島の刑に処せられ、大島吉之助と改名し、二坪ほどの牢獄に投じられた。
奄美で結婚して子供を3人授かった話も残りますが、子孫はご存命でしょうか。

今回は歴史を振り返りながら、奄美の黒糖焼酎はいかがでしょうか。
「あまみ長雲」「一番橋」「龍宮」「らんかん」など種類が沢山ありますが、本日は奄美酒類(株)「牛 神」で一杯。


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