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「作家シリーズ」本日は浅田次郎氏

  

以前に作家シリーズと書き出して、文章を書かせてもらったので、シリーズと書いた責任から次の作家を書く使命をしょってしまった。

そこで、浅田次郎氏降臨である。

本を読まない人でも、あの高倉健が出演した鉄道員(ぽっぽや)は知っているかと思う。

平凡な人生に舞い降りる一瞬の奇蹟。さい果ての雪に埋もれたローカル線の小さな終着駅。その背景に広末涼子演じる雪子の存在が…。

と、映画の話を書こうとした訳でない。その作者である。

その、浅田次郎氏は下戸なのだから驚きである。外見からすると、いかにも飲みそうではあるのだが、この先生一滴も口にしない。

あたしなんぞは、酒を飲むために生まれてきたような人間だから、飲まない人の心境が申し訳ないが理解できないのである。

とは言え、下戸の方は酒が嫌いなのだから自分の嫌いな物をいくら他人から旨いと言われても、飲めないものは飲めないのだからこれはとやかく言うべき問題ではない。兎にも角にも浅田氏は飲まないのである。

であるからして、ここで酒の話と結びつかなくなると思われる方もあろうかと思うが、それでも書き続ける神経の太さ。これが、人間を成長させている。

さて、その浅田次郎氏の作品であるが、泣けるのである。涙が出ちゃうんだから仕方がない。

「シェエラザード」「日輪の遺産」などの長編作品では、必ず泣かされてしまう。

ただ困るのが、あたしは電車の中でしか本を読まない。普段仕事が終わって家に帰れば、酒を飲んでいるので本を読むほどお洒落じゃない。車の通勤では当然、読める訳もなし。従って、無理して電車で通勤するか、何かの用事で電車に乗る時しか本が読めないのである。

その車両の中で、グググッと込み上げてくるからたまらない。

天を仰ぎ、落ちる涙を目がしらでくい止め、本は閉じ、別のことを考えようとするのだが、そう思えば思うほど描写の一角が脳裏を駆けめぐる。一粒の涙が、頬を伝わろうものなら、おもわず立ち上がって窓の外の景色を呆然とやり過ごすのである。

そんな作品を書くのが浅田次郎氏なのである。

ただ、今読んでる作品は「勇気凛々ルリの色」。これは泣くどころか、笑っちゃう所が多すぎるのである。笑わして、そして泣かせるテクニックは見事なものだと感心してしまう。

しかし、この「勇気凛々」を読んでいると、作家とは毎日が地獄のような生活で、よく生きているなと呆れてしまう。あまりの加重負担で1ヶ月に6キロも痩せ、布団の上で寝る時間がないほど過酷な執筆の連続。これでは、酒どころではあるまい。

しかも、失神してぶっ倒れること数回。それでも元気なのだから、いやはや凡人の忍耐では作家は勤まらないとつくずく感じてしまう。

そんな浅田氏の作品を読みながらいつも思うのだが、「自分はしがない勤め人で、旨い酒さえ飲めればそれで十分」と思うことに、抵抗がなくなるのである。そんな生き方を幸せだと思うのである。

なぜ、そう思うのかはよく分からないが、なぜだかそう考えてしまう。

きっと、浅田作品が心の隅を優しく包んでくれるからかもしれない。優しく壊れガラスのように、文字が心を覆ってくれるからかもしれない。

そう。あまりにも優しいので、涙が流れるのかもしれない。その涙の味は、旨い酒の味によく似ているとあたしは思うのである。


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