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福井県黒龍酒造「黒龍・純吟三十八号」

 

「黒龍」この酒に物言う程の舌を持ち合わせていない我が身に、反省至極である。

何度か黒龍には挑戦をしてきた。原料米にこだわり、厳選され選び抜かれた酒米でなければこの味わいは、と思うのは事実である。

だが、あまりに精査された出来映えに、私の舌が踊らないのだ。

今回も、純吟三十八号に挑んでみたが、結果は同じであった。

表現方法が分かりにくいかもしれないが、たとえば落語の世界で表現させてもらおう。

5代目古今亭志ん生師匠をご存知だと思う。

「天衣無縫」ともいわれる芸風は唯一無二のものであり、巧拙(こうせつ)を超えた面白さは他の追随を許さず、また誰にも真似の出来ないものであった(後年、名人と呼ばれるようになった息子志ん朝師匠は、「第二の文楽は出るかもしれないが、第二の志ん生は出ないでしょう」と語っている。

この噺家を尊敬し、私もそんな人生を歩んでみたいないと夢見ているのだが、この志ん生師匠。噺の流れは、いつも一定ではない。

今日は、熊さんがこっちから来たかと思えば、明日は別の場所から登場する。その時の客の反応やその場の雰囲気で噺の流れが変わる。

つまり、まったく同じ噺は二度と聞けないのである。

その対照的なのが8代目、桂文楽師匠。

落語における戦後最高の名人のひとりといわれ、2歳年上の5代目古今亭志ん生師匠と併び称された。

志ん生の八方破れな芸風とは対照的に、細部まで緻密に作り込み、寸分もゆるがせにしない完璧主義により、当時の贔屓(ひいき)を二分する人気を博した。

ネタの数は多くはなかったが、どれも徹底的に練りこまれており、特に廓噺、幇間(ほうかん・太鼓持ち)もの等における艶やかな語り口は絶品とされている。

文楽師匠の噺は、寸分違うことはなく、その芸風は「見事」なものだった。

ご理解できるであろうか。

「黒龍」の味わいは、この文楽師匠の如くと表現したくなるのである。

しかし、「天衣無縫」な志ん生師匠の、「ガハハハッ」と笑い、手を叩きながら腹ねじ曲げて笑い転げる味を、私は好むのである。

とは言いながらも、味わいの世界は好みではなく、冷静な判断で味覚を研ぎ澄ませなければならない事を考えれば…。

「まだまだ、勉強が足りないようである」

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