忘れること、これも楽しい。
この頃とみに思うことがある。
酒の銘柄を覚えきれないのである。覚えきれないと言うより、忘れてしまうのである。
昨日も行きつけの居酒屋で「この酒前に出しましたよね」と言われて「そうだっけ、初めて見たと思うよ」なんてすっとぼけた反応を示すときもある。
巷では「ボケた」と言うようだが、こんな事件は一つや二つではない。
先日とある会社に連絡を入れた。いつも話す担当者を呼び出してもらおうかと思いきや「○○さん」の名前が口から出てこない。
「あの~、あの~、担当の誰だっけ。若い人でさ…。」頭の中でははっきり担当者の顔が浮かんでいるのに、どうしても名前が出ない。
流石に、電話を受けた方も困惑して、こちらの名前と住所を知らせて担当者を調べてもらう始末と相成った。我ながら恥ずかしさと、年齢の重さを実感したのである。
「そんな事、よくあるよ。テレビ見ていたって俳優の名前が出てこない時ってあるじゃないか」と人は言うのだが、この忘れてしまった事件はこれで終わらない。
電話口に出てくれた何時もの担当者。名前を区切るように丁寧に伝えてきた。そんなに難しい名前ではないが「○○さん。そうだあなただ」と一安心したのだが、「ところで、ご用件は?」と聞き返された。
そりゃそうだ。こちらから電話をしたのだから用件を聞かれるのは当然の事だ。しかし、しかしである。「いや、そのね~」事件は始まった。
思い出せないのである。名前の事で頭が一杯になり、肝心の用件が頭の中からすっ飛んだのだ。あれ?何の用事で電話したんだ。こうなると増々頭の中はクルクル回転するだけで、一向に本来の目的が浮かんでこない。
「ごめん。忘れた」相手からの反応は「はあ~」と呆れた吐息が小さく聞こえた気がした。
「情けない我ながら情けない。」家族に話したら、大笑いされた。笑い事ではない、当事者としては見過ごせない出来事である。
その内、忘れた事すら忘れてしまう日々が来るのかと思うと、何だか、楽しみになる。
まあ、そんな時は全てが分からなくなっているので、それはそれで面白い人生の結末だと思っている。
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