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秘仏の扉 「永井 紗耶子著」

  

一冊の本を閉じるとき、大きな溜息が出る。書物を読み終わった充実感、その裏腹に終わってしまった喪失感。共に気持ちが交差しながら本の最終頁を静かに閉じる。

作者の素晴らしい表現に幾度となく感服しながら読み進める。知らない言葉は辞書で引き、熟語の神秘性に心躍らす作家が永井紗耶子氏だ。

本の巻末には参考資料がズラリと並ぶ。「秘仏の扉」のために書籍や論文、その数多の書籍から構想を得て文章が流れてゆく。読み進める途中に何度となく「この文章はどこから湧き出るのだろう」と空を仰ぐ時がある。

「作家とは凄いものだ」。

明治時代、200年以上「絶対秘仏」として守られてきた法隆寺夢殿の扉を開けた男たちの過去と現在。フェノロサ、岡倉天心、九鬼隆一などの男たちが秘仏の前で息を呑んだ。

法隆寺夢殿の本尊で、聖徳太子の等身の御影と伝わる一体の救世観世音菩薩。そこから人々の人生が始まって行く。千年の畏れを越えて開かれたその扉、扉を開けば直ちに仏罰が下ると言われながらもなぜ開かなければならなかったのか。

「金のために秘仏を見せるというのか」

「支援がなければ、法隆寺はもう保てません」

「これから先の千年、遺すために何を為すべきか…」

救世観音像の微笑みから何を汲み取るべきなのか。読み績ぐ言葉の一つ一つから感じてもらいたい、そして感動が生まれた時、永井紗耶子氏の作家としての技巧に心の扉が開くはずだ。

詳細を語るべきものではないが、作品の最後のページだけ紹介したい。

あの日、厨子の扉を開けた。

それは果たして、正しかったのか。

その是非が分かるのは、己の墓が苔むして忘れ去られた後のこと。

千年経たねば分からない。

なんとまあ、果てしないことか。

久成はふと立ち止まり天を仰いだ。

祈る先は、神か仏か、或いは人か。

ただ自らの役目を終えたと信じ、久成は博物館に背を向け、夕日の照る上野公園を静かに歩いて行った。


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