田中正造
昨年。
英科学誌ネイチャーが「化学に影響を与えた今年の10人」の一人に、児玉龍彦氏、東京大学アイソトープ総合センター長を選びました。
児玉氏は昨年の福島原発事故では、南相馬市で早くから除染活動に取り組み、その測定方法や放射線量が高い「ホットスポット」の探し方をも指導し、7月には国会にて政府の対応を激しく批判した経緯から選ばれたようです。
平成の田中正造と言っても過言ではありません。
足尾町(現日光市)の足尾銅山から出た鉱毒が、渡良瀬川の魚や流域の農地に被害をもたらし、日本の公害の原点とされる、足尾銅山に敢然と立ち向かった田中正造氏(1841?1913)についてお話しましょう。
衆議院議員に6回当選の田中正造は1901年議員を辞職し、明治天皇に直訴。
1904年谷中村に移り住み、村を廃村にして渡良瀬遊水地を造る計画に抵抗した。
「真の文明は山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さざるべし」と残してます。
ここまでは教科書など、容易に分かる範囲ですが、ここからは氏の人となりを別の角度から少しご紹介しましょう。
「鉱毒が流れてもいいように、谷中村を貯水池にしようというので、立ち退き騒ぎが起こったわけで。田中正造という人は、反対運動の真っ先に立って直訴したりしたのです。
雨の降っている日に、あご鬚を伸ばして、蓑に菅笠をかぶって、佐倉宗五郎みたいな人が玄関へ入って来たんです。
お酒なんか出します時に『奥さん、何にもいりませんから、青トウガラシを焼いて、味噌をつけて下さい』っていうんです。
最初は怖い人と思っていたんですけど、優しいかたでした。
谷中村の立ち退きの時は、大変だったらしいですね。わずかな立ち退き料だったんじゃないかと思うんですよ。壊される家の柱につかまって、離れないおばあさんもいたそうです。
その後、足尾銅山の争議があって、軍隊の宇都宮師団が出動して大変な暴動になってしまいました。」
(昭和29年12月 作家:吉屋信子さん語る)
晩年は政府の治水政策の誤りを正すため、奔走されました。
こんな高潔な政治家は、現代では望むのが無理ですかね。
反原発俳優と冠ずけられた山本太郎氏(メロリンキュー)も少しずつNHKに出演回数がふえてきたので、ホットしています。
山口県 東洋美人 テロワールシリーズから「437」をご紹介します。
萩市中小川の番地違いで収穫した山田錦を100%使用した純米吟醸です。
柔らかで、スッキリした味わいになってます。720ml 2、100円。
この記事へのコメントはこちら