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木挽町のあだ討ち 永井紗耶子/著

  

さあさ、お立ち会い。ご用とお急ぎでない方は ゆっくりと聞いておいで。江戸の花と言えば火事と喧嘩、ところがどっこい、そこに一つ加えてくんねえ。仇討ちだよ。

「親の仇、尋常に勝負しろ」てな奴だ。父母や兄、自分よりも前の世代の親族を殺されたときに、相手に復讐する仇討ち(あだうち)だ。

「何、仇討ちは成功したのかって。そんな野暮な事を聞くんじゃないよ。それを最初に言ったんじゃ面白くも何ともないだろ」

「まどろっこしいな。さっさと言っちまえよ」てなやり取りで始まったが、その当時、「仇討ち」として番所に届け出て認められれば、なんと殺人が無罪となったのであるから、話はややっこしい事になる。

たすき掛けで、仇討ちだ。と飛び出してはみたが、この仇討ち、番所に届けだしたはいいが、この仇討ちが実現されるまで帰って来られない。「もう、疲れたから辞めた」とはいかないのである。

そんな武士の忠義を守る姿。勿論、明治の初め頃には禁止令が出てとり辞めにはなってはいるが、それまで続いた訳だ。そこで一人の若者が親の仇を果たすために木挽町に出没する。

さて、一体どんな流れが待っているのか。仇討ちは成功するのか、それとも…。

これ以上、知りたければ本を読んでもらいたい。ただ読む前に、作者の永井紗耶子氏、その文章が実に巧みで惚れ惚れする。リズムがいいので読んでいる目線が止まることを知らない。

あまりの面白さに、二日で読み終えてしまった。終わって「あ~」と大きな溜息が出るくらい、最後のページをめくるのが悲しくなってしまう。それだけ素晴らしい文章だった。

それだけでは伝わらないので、一言だけ文章を紹介する。

「ありがとうね。お前さんの世間は平べったいから、私はここにいるのが気楽でいい」相変わらず、私の世間が平べったいと言う。その意味が分からなくて首を傾げていると、ほたるさんはからからと声をたてて笑った。

「私はお前さんより性根が悪い。世間ってのは、階段みたいになっていて、上の連中は下の連中を見下している。だから這い上がらないといけないって、手前を追い立ててここまで来たのさ。這い上がろうがずり落ちようが、焼けばただの骨になる。そう考えたらいっそ気が楽になっちまったよ。」

こんなやり取りが、「木挽町のあだ討ち」の中にわんさか書かれている。いい文章に、体がざわざわして来ないかな。

どうだろう「きんじょの本棚」覗いて見たくはならないだろうか。 


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