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記憶と懐かしさ

  

先日、昔の旧友と酒を酌み交わした。午後の1時集合となれば夕方には飲み終わると考えたのだが、あにはからんや夜の9時まで宴席は続いた。

「なあ、あいつはどこに行った。」

「ああ、奴は自衛隊に入ったよ。」

「なんでそんなこと知っているんだよ。」

「え~、お前知らなかったのか。奴のオヤジさんに聞いたんだよ」

「ふ~ん」

何てことのない会話だが、50年以上前の仲間の話を口にすると、その頃の情景が思い出されて来る。代わりの酒はジントニックを注文する。

「学生時代によく飲んだな、ジントニック。何だか薬みたいな味で旨いとは感じなかったけど、今飲むと結構いけるもんだな」

「年取ったんだよ」

アメリカナイズされた店の中は、若者たちの笑い声が響いてくる。年配者は一人もいないが、店の片隅で飲んでいるせいか誰の目線も気にかけることなく飲み続けられた。誰彼はどうした、彼女は元気なのか。と笑い話にも花がさいたが、ふと気づくとこの先何年こんな時間を持つことが出来るのだろうか。そんな事を考えてしまった。

互いの顔には皺が増え、髪も薄くなった。どちらか先に倒れたとしても、それはそれで仕方のない事だが、互いの記憶の中は、今まで通り共有していたいものが幾つもある。懐かしい思い出だけはお互いに忘れることなく胸に刻み込まれているものだと感心する。

そうだ、大学時代にはよく酒を飲んだものだ。今は時効だからか書くとするが、大学一年生の夏の合宿で先輩方に一気に飲まされた。合宿先で「飲め、飲め」の連チャンで次から次へと先輩方が一年生をつぶしにかかる。されど私、まず2年生を打ち負かし、続けて3年生の横っ面を一升瓶で張り倒し、4年生の肩を抱きながら逆に飲ませ続けてやった。

宴会終了時には大きなマグロがあちらにも、こちらにも転がっている状態で、最後まで残ったのは私一人であった。

「なんて、酒の弱い連中だ」とあきれ果て、合宿終了と同時に退部届を出してやった。

ちなみにその部活、司法試験を目指す部員たちであったが、やはり勉強ばっかりじゃ世の中通用しないなと身をもって感じ入ったまでである。

そんな思い出話も今では笑い話だが、懐かしき話題はいいものだ。こんな事を胸の奥に刻み込んで会話は続くのである。

外に出れば寒い冬空も、何だか前頭葉だけが生きているようで、暖かな胸の中に「記憶と懐かしさ」が、雪の様に降り注いでくれていた。


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