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戦争特集3部作その3

 

今回にて戦争特集は完結です。

私の一番嫌いな権力を盾に威張ることしか出来ない軍人を取り上げます。

1825年、フランスの盲青年ルイ・ブライユという人が、点字を発明。
明治23年東京盲唖学校の石川先生が日本流に使いやすくしました。

斉藤百合(1891~1947)も全盲で点訳と写本に打ち込み、11歳年上のヘレン・ケラー「わが生涯」に深い感銘を受けてゆきます。

大正七年、ライシャワー牧師(後の駐日大使エドウイン・ライシャワー大使の父)や新渡戸稲造によって東京女子大学がつくられ、ライシャワー夫妻に聲唖の娘がいたこと、新渡戸も重い眼病にかかり失明の宣告を受けたことがあり、斉藤を特別生として入学許可を与えられ、英文科にすすみます。

昭和12年ヘレン・ケラー来日。
日米親善使節として来日したため公的な歓迎会ばかりで、障害をもつ人々とのふれあう機会がなかったので、斉藤は独自に「講演と音楽の夕」を企画実現した。
宮城道雄の弾く琴に触れ、聾唖の少女から花束を受け取り、ヘレン・ケラーは大変喜んだが、この会に対する歓迎委員会の横槍はひどく、あとで斉藤はヘレン・ケラーに忿懣を書きおくりました。

その返事が。
「強いものたちの心は暗い。誰がこのようにハンデイキャップを持った人たちから機会を奪ったのか。地球上の限界に打ち勝ち、精神の力において勝利しよう。」
ヘレン・ケラーはその気持ちをじゅうぶん理解していました。

昭和12年は7月7日盧溝橋事件が勃発。
そして翌年4月18日国号を「大日本帝国」と統一。
こんな時代背景でした。

その後戦争により国が怪しくなりだし、徴兵、勤労動員の戦争協力体制のもと引揚者や知的障害者は切り捨てられていきました。

そんな時、荒木貞夫陸軍大将はある講演で。
「何も国家に協力できないと悲観することはない。あなた方は電灯を使わなくてもよいから、節電に協力すればいい」と言い放ったそうです。
文体にすると、強さは感じられませんが、かなり高圧的な物言いだったのではないでしょうか。
当時の軍人は道行く中学生を「早く志願して神になれ(死んで来い!)」「そんな事で国家の為になるか」といきなりビンタしてくる集団でした。

最後に。
昭和天皇が「明治天皇の時には、山縣、大山、山本(権兵衛)等の如き陸海軍の名将があったが、今度の時は——-」と嘆かせた。
山縣有朋は、国家指導者たる自負と戦略をもっていた。必要とあれば、御前会議で居眠りをする明治天皇をサーベルで叩き起こすことができた。
西郷隆盛でさえ「そんなことなら、また京都に追い返してしまいますぞ」と忠告したほどだ。明治の将軍たちは、天皇制も憲法も軍部も自分たちがつくったから、コントロールもできた。しかし昭和の将軍たちは皇国の軍隊教育のもとでつくり出された軍人で、国家戦略をもっていなかった。
敗戦のときでも、「国体の護持」「皇軍の存続」しか頭になく、「国家」を滅亡から救うことから、「国民」をどう生存させるか、という意識は皆無であった。
昭和の軍人は国家指導者としての自覚がなかったのです。

そんな時代の二度と来ない事を願いつつ2011年の戦争特集でした。
(参考資料:断髪のモダンガール 森まゆみ著:昭和天皇伝説 松本健一著)

そして、この平和な現代に、後世まで残したい銘酒。
秋田県 新政酒造(株) 純米吟醸 生酒 720mlを紹介して…。

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