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故郷について

  

8月に入った。この時期、お盆休みを取って数日の余暇を楽しむべき、旅行を企画するものである。そんな中、故郷のある人は帰郷する楽しみもあるものだろう。

しかし、私には旅立つ故郷が存在しない。東京生まれの者には故郷と呼べるそんな場所はどこにもない。荒川区で生まれ、その後、神戸に引っ越し、小学校上がる前に練馬に越し、小学校2年生になる時には川崎の宿河原で過ごすことになる。

まだまだ、話は終わらない。川崎でも再度引っ越し、中学上がる前に調布市に越すことになる。そしてさらに引っ越すのだが面白くも何ともないので、その先は書く必要はないだろう。

つまり、私には落ち着いて田舎と呼べるところなど、どこにもない事になる。これまたつまらないものだ。

故郷と言えば、昔の仲間がいて、親戚や近所の知り合いがいて、何の気なしに訪ねてもいつも笑顔で迎えてくれる。家に帰れば、広々とした畳の上で大の字になって昼寝でもする。

スイカをかじれば、それで昼飯は終わり。朝もぐうたら決めてゆっくり起きる。目覚ましなんぞは蝉の鳴き声で代役してもらう。当然だろうが夜の食事には茶碗で酒を飲み、テレビは決して付けない。

へそ出して寝ていたって誰にも文句は言われない。夜鳴く虫の声が、無限に広がる闇夜の中で静かにハーモニーを奏でる。あ~、憧れる。

こんな環境で、年に一度でいいから過ごしてみたい。

生まれた荒川には知人など誰もいない。育った神戸なんぞは場所さえ記憶にない。練馬も、川崎も誰一人存在せずそれを知っている家族も他界しているのだから仕方のない事だ。

まさに根無し草の様な人生が私の過去を作り出している。そして、そんな曳かれたレールの上で今も歩き続けている。

「故郷のある人は羨ましい」と思うのだが、それは無い物ねだりの贅沢な夢なのかもしれない。

この夏、武蔵小山に行こうと思う。長い商店街を抜けると、きっといい店に出会えるかもしれない。まさに私にとっての故郷への探索が始まる。


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