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食べることについて

  

某ラジオ番組で父親に作ってもらった丸い塩むすびについて話していた。

そんな話を聞きながら、私は父親からどんな料理を食べさせてもらったのだろうか。と、かすかな疑問に到達した。

父親は私が物心ついた時には家にはほとんどいなかった。そんな事を書くと「何、女のところに行ってんのか」と下世話な関心ごととなるが、そうではない。

その当時、単身赴任という理由で、年に二回、お盆と正月しか帰って来なかった。しかるに、父親の手料理どころか、父親の存在そのものが心の中にあまりないのである。

であるからして、父親の手料理なんぞは全く記憶の中に存在しない。しかし、しかしである。塩むすびの話題で思い出したのだが、父親は子どもの前で茶碗に入れたご飯を空中に投げて、茶碗で受ける。それを何度か繰り返すうちに丸いおむすびが出来上がる、そんな事を子どもに教えたのだ。

子ども心に実に楽しい曲芸として記憶の中にしまい込まれている。

ある程度の年になって、私も孫にこの芸を見せたことがある。当然のごとく、子どもは喜んでいたのだが、ただ一人難癖をつける者がいた。

本人の名誉にも係わるので、あえて名前は出さないが、この間の文章を読まれた方は、「また、あいつか」と気付くことだと思うが、その想像は当たっていると思う。そうそう、歯磨きをくわえて寝ちまった奴である。

「あんた、子どもの前で、食べ物で遊ぶのはやめてください」だとよ。「別に遊んでる訳じゃねえよ」と言い訳しても「ほら、子どもが真似るでしょ」と来たもんだ。

真似るのは面白いからなのに、どうも洒落が伝わらない。親父から唯一贈られた食の楽しみだが、それも我が家では封印である。

茶碗を持ちながら「ホイッ」と飯を空中に放り投げてみようか。そんな時、かつての親父が天国から「お見事」と声を掛けてくれる気がする。

「よし、今度隠れてやってやろう」。


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