昼食と人生と
久々に昼食を食べた。普段、昼食を食べる習慣がないので、いかように食を進めればいいのか困惑してしまう。であるから、昼食をとるときは朝の食事を抜くことにしている。
当然ではあるが、朝食をきちんと食べると、昼に空腹を感じる事はない。であるから、ちょっとした会合などで昼食を出されると満腹感のまま食事をすることになる。
先日も、幕の内弁当が出されたのだが、これも困った事にあいなった。外食の場合、自分が好きなものを選ぶので、好きに箸を動かせばいいのだが、弁当はいけない。しかも、幕の内だ。蓋を開けると、様々なおかずが目を混乱させる。御飯から手を付けるのか、おかずの黄色い奴、はたまた赤い色の奴に箸を置くべきなのか。
「そんな事考えずに好きなものを食べればいいではないか」と貴殿は言うのだろう。しかし、そうは問屋が卸さない。弁当と言う代物をあまり食べない者にとってはどの場所から攻略すべきなのか考えてしまうのである。その原因は昼食を食べない生活が何十年も続いた結末なのではないかと考える。
つまり、弁当を食べる生活が馴染んでいないのだ。
朝御飯は味噌汁に飯、そして若干のおかず。夕食は酒がつくので食卓は肴で埋め尽くされる。しかし、弁当はそうはいかない。自分で選んだ弁当ならいざ知らず、出された幕の内では、右に左に目が移って困惑してしまうのだ。
そこで、フッと思い立ったのだが、ラーメンもカレーライスもマクドナルドも食べてはいない。これらの食事は頭の中で、昼食のジャンルに数えられるため口に入ることがないのである。
朝と晩の二食生活には、この手の食事は論外になるのだ。そりゃそうでしょう、マックと日本酒これは旨くはない。
ただ一つだけこの二食生活をしていると、一日一回食する快楽を失っていることになる。
つまり一年365回、飯を食う喜びを無くしていることになる。これは人生にとって大損ではないだろうか。
「なら毎日三食、始めればいいではないか」と貴女は言うのだろう。それが、出来ないのだ。「食べられない体になっちまったのだ」。
人生損した生き様。これから何年続くのだろうか。
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