この夏に重ねたいこと
彼女は僕にこんな言葉を語った。「あそこの酒屋さんに置いてあるワインあるでしょ。あれ、全部端から飲もうと思うの」
「ほー、いい考えだね」と関心を装った。しかし、本当に実践されたのかと言うと途中で挫折したらしい。そもそも、最初の頃飲んだワインが何であるのか忘れてしまうのが原因のようだ。
それにしても僕の心の底では「何も、全部制覇する事に意味があるのだろうか」と当初から疑問に思っていたのだが、その心意気には敬意を表する。
確かに何かに集中するのは毎日の糧にもなる。「明日はあの棚から3番目のワインを買って帰ろう」と思っただけで足取りも軽くなるだろう。
そんな気持ちは充分理解できる。僕も他人事ではなく、それに近い感情は本を読む時に現れる。好きだと思った作家は全作品を網羅したくなる。
であるから、全作品に目を通さないと心の中にモヤモヤが居座ってしまう。
最初は遠藤周作氏から始まった。次の本、次の作品と探し続けるうちに、もう読むべき本が無くなり、浅田次郎氏へと傾いた。笑いあり、涙ありの作品の全てを読み終えると次の作品に出会うまで、時間が止まってしまう。そして、山本兼一氏へと心は動いた。されど2014年2月13日(57歳)で亡くなった時は愕然とした。「好きな本が無くなってしまう」と嘆きながら永井紗耶子氏の絶妙な表現と出会い。そして今では村田沙耶香氏が僕の読書感を搔きむしってくれている。
勿論、その間も幾人かの作家と出会い、別れている。
そんな心の動きは「ワイン飲み切りたい」と「あの作家の本を全部読み切りたい」と心の中での感情の動きは大差ないと思えてしまう。
そう言えば、僕も日本中の日本酒を全銘柄網羅したいと考えた時期があった。
しかし、これも年齢と共に飲んだ銘柄を忘れてしまうので、バカバカしいと思って辞めてしまった。大体酒蔵だけでも14,000蔵はあると言われているのに、そりゃ無理ってものだろう。
そんな無理が何故だか「好き」なのである。
本を読み心が動かされ、一杯の酒で至福の喜びを感じる。
そんな時間をこの夏に重ねたい。
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