8月6日その日に思う
今年戦後80年になる。そして明日広島への原爆投下からも80年となる。
私は中学生の頃、毎年夏休みには広島で過ごす機会が多かった。広島に単身赴任をしていた父親の関係で、夏の数日間を家族で過ごしたのだ。
そして、8月6日を複雑な思いで過ごすことになる。複雑とはいいながら、原爆が投下された被災地とは別に、この日が母親の誕生日でもあった。
世の中が悲惨な出来事に心を閉ざすそんな日に、我が家では祝うべき言葉が飛び交ってしまう。何とも複雑な思いでこの日を迎えたものである。
そんな理由からだけではないが、広島には年をとっても何度か訪れている。平和公園に佇みながら灼熱の太陽が降り注ぐ中、8時15分を迎えたこともあった。
今はこの広島の暑さに耐えられず足は遠のくばかりだが、いずれまた、この夏の日に蝉の大合唱を聞きに行かなければと考えている。
それにしても広島の凪を経験した事があるだろうか。
夕方の涼しむそんな時間帯にピタッと風が止んで無風状態が続く。初めて経験した時には、この場所だけ時間が止まったのかさえ感じられた。
瀬戸内海からの風も中国山地からの風も取り残されたように風がやんでしまう。夕涼みなんて言葉は禁句のようにモワ~んとした空気が身にまとわりついてくる。
今ならクーラーのある場所に逃げ込めばいいのだろうが、その当時はどうしていたのだろうか。兎に角あちいので、外には居られず家の窓を全開にして畳の上で凪の時間が通り過ぎるのを待ち望んだのかもしれない。
きっと今なら、どこかの店に入って冷たいビールを飲みながら「プハ~ッ」と叫んでいることだろう、そして忘れられない広島のお好み焼きがある。
あの中華めんの入ったお好み焼き。子どもの頃は近くの店でお好み焼き一枚とかき氷を注文する、これが私の昼食であった。
何がいいって、あのソースの味に焼き目がついて一言では言えない美味の広がりが子どもの味覚にピッタリであった。
っと、そんな事を考えながら8月6日を迎えようとしているのは「不謹慎であるな」と反省しながら、「東京の空もあっちいな」と溜息が出るのである。
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