奄美とウナギ
奄美大島は何度かこの場で書かせてもらったが、黒糖焼酎は実に旨い酒だ。この黒糖焼酎だが、この酒、奄美大島しか造れない。と言うのも、酒税法の特例通達で奄美群島に限り製造が認められた酒なのだ。
奄美大島は1953年に米軍の統治下から日本にやっと復帰した。沖縄と同じで、奄美大島も戦後は米軍に占領されていたことになる。奄美では島民の激しい闘いと運動によって勝ち取った復帰でもあった。
そんな中、黒糖焼酎を特例で造らせて経済的にも支える策を得たという事だろう。それにしても戦後8年間も日本に復帰されていなかっとは、実に驚きである。
さて、その奄美大島。とある話題が耳に飛び込んできた。とある方の、とある話である。
その方、非常に近しい人なので匿名で書かせてもらう。
では、ひろ子さんとでも呼んでみようか。そのひろ子さん、裏の川でウナギを飼っていた。飼っていたというべきなのか、兎に角自分の所有物としてウナギに餌をあげていたのだ。
勿論、その川。ウナギが何十匹も、うようよ泳いでいる訳もなく、たった1匹のウナギ君に餌を与えて大切に飼っていたのだそうだ。
ウナギと言う生き物は、ウナギの寝床があって、その穴のそばに餌をあげれば、ムシャムシャ食うらしいのだが私は見たことがない。兎に角、そうして大切に1匹のウナギ君を育てていたそうな。
その目的は当然のごとく、大きくなったら捕まえて食っちまうのが目的であったようだが、それまで大切にウナギ君を太らせていたそうな。
しかし、突然事件は起きた。ウナギ君が頃合いの大きさに成長した頃、ウナギ君の姿が見当たらなくなった。
「大変だウナギ君が盗まれた」と激怒したひろ子さん。かわっぺりをくまなく探したが、愛しのウナギ君は見当たらない。それより、一体どこのどいつが「私のウナギ君を盗んだんだ」
その叫び声は、奄美の空に吸い込まれて行ったそうな。
悲しみと空腹の衝撃に立ち上がることもなく悲壮感に暮れていたが、家族にこの事件を怒りに任せて語ったそうな。
ただ、家族の反応が粋であった。
「ウナギ君に名札つけていた。付ければ良かったのに…。」
「う~ん。実に小粋な発想だ」そんな奄美が私は大好きだ。
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