上原 浩著「純米酒を極める」
酒とは嗜好品、旨い不味いの判断は飲み手に任せるしかない。と、思ってはいるが、そんな事を言ってしまえば「月の明かり」などが好き勝手書いていることすら意味が無くなってしまう。
そこで一度目を通して貰いたい書物がある。上原 浩著「純米酒を極める」である。上原氏の肩書を書けば長くなるが「酒造界の生き字引」とまで呼ばれる方である。
その方の文章に目を落としながら、小生後ろから頭をガツンと叩かれた思いになった。自分の酒好としていた日本酒に対する思いが否定された気持ちになったのである。ただ、誤解されると困るが、その否定された思いに違和感がある訳ではない。それより、改めて「そうだったのか」と考えを改める気持ちになった。
たとえば生酒。文中の言葉をそのまま書くなら「大体、生酒を本当に好んで飲んでるいる消費者がどれだけいるのか?言葉の響きに惹かれて何となく選んでいるだけの人がほとんどではあるまいか(蔵で飲む新酒の新鮮さを想像しているのなら間違いだ。よほど鮮度管理の良い店が蔵から直接取り寄せているような場合以外、市場に出回っている生酒にそれを期待するのは無理がある)。」
「本当に酒の味が分かる人は、生酒など無闇に飲まず、熟成された酒を好むものであ。」との事。
「上立香の華やかさや端麗さ、新鮮なイメージなど売り物にする酒は、一時的興味を引くことはできても、すぐに飽きられてしまう」と文章は続く。
小生、香り立つ酒を良しとして生酒をひたすら飲み続けてきた。勿論それを否定されている訳ではないが、人に聞かれれば「生酒がいい、上立香の素晴らしさに感動するから」。そんな言葉を伝え続けた自分自身の無知さに頬が赤くなる思いすらした。
アルコール添加された酒も同様である。「アル添という技法そのものが必ずしも悪ではい…。しかしアル添した酒は日本ではない。普通酒はもちろん、比較的少量のアルコールを添加した吟醸酒も、あくまでも清酒である。この認識を徹底させていくことが、純米酒にまつわるさまざまな誤解を解き、日本酒の進化発展につながると私は考える。」と締めている。
多分、この文章の数々で今まで日本酒に抱いていた認識が大きく動くと思う。
上原氏に脱帽し「酒とは実にいいものだ。」と改めて思う、そんな書物と出会うことができた。
認識が変わる程の本に出会えたとのこと。
考え方が拡がったということですよね。
素晴らしい!いつまでも柔らかい頭でこのコラムも継続してください。今年も楽しみにしております。