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November 2009
蔵元と諏訪の旅・長野県諏訪市「宮坂醸造」

酒蔵の旅も、最後の書き込みになる。その4番目の蔵として諏訪湖の外周「宮坂醸造」で締めとしたい。
舞姫、千代錦、武重本家と書き続けたが、どの蔵も歴史の重さと嬉しさに感動を覚えた。
それにも増して、酒の味わいのよさに「長野に来て良かった」とつくづく感じたのだ。
その最終を締めるのが、宮坂醸造株式会社「真澄」である。
その酒蔵から新種の優良清酒酵母「協会7号」が発見されたことは、蔵が、時代環境に流されず品質至上主義を貫いたことが、その証となっている。
蔵の入り口には、観光のお客がひっきりなしに出入りしている。それだけ、有名な酒蔵を裏付けしている。
300円の試飲お猪口を手にとって、何種類かの試飲を試みたが、今年の真澄あらばしりを舌で転がすには少々時期が早かった。

綺麗にならんだ冷蔵庫には何本もの銘酒が並んでいた。
感ずることは、舞姫や武家本家のように「酒蔵」とした重々しい雰囲気とは違って、製造量の多さと知名度の高さが、蔵のイメージを輝かせている。

そんな蔵の片隅にたたずむと、庭先から協会7号誕生の石碑が遠くに見えていた。
「蔵の最大の誇りと喜びなのだろう」と、「真澄」の味の良さが改めて分かる気がして来た。
酒と歴史の旅・長野県佐久市「武重本家酒造」

中仙道の街道沿いには、昔の面持ちのまま伝統を守り、時代に合わせた味を追求した一流の酒蔵が、そこにはあった。

蔵の入り口は旧家のたたずまい。その雰囲気からすれば大地主の敷地の中に、足を踏み込むようだ。
その名は「武重本家酒造」。宿場の地酒として御園竹、牧水を造り続けてきた。
酒蔵見学は年に一度。出来たて新酒の試飲は年明け3月21日。それまで「おあずけ」である。

その蔵の事務所の壁面には、この間取得した日本酒鑑評会の賞状が並び続けている。
「すごいですね」と語ると、熟年の親父さんが「近年のはここですよ」と嬉しさ満面の笑顔で事務所に飾られた賞状を見せてくれた。
その歴史は、江戸時代にまでさかのぼる。武士が酌み交わす酒の味わいも、この蔵から出荷されたのだろう。庶民の口には、どんな味の日本酒が届けられたのだろうか。

その歴史の証明は、蔵の一画に展示されている江戸時代の酒造道具が時を刻んでいた。
杜氏の号令とともに、蔵人たちが仕込みに汗を流したのだろう。その経験と酒造りの伝統は、日本人だからこそ受け継ぐことができる緻密で繊細な芸術品だと感銘を受ける。
蔵の方とは、数少なくしか話すことが出来なかった蔵の訪問だったが、得たものは大きかった。
別れ際「新酒はまだですか?」と尋ねると「12月始めでしょうね」と満面の笑顔で答えてくれた。
酒蔵の旅・長野県佐久市「千曲錦酒造」

緑の杉玉が、今年の新酒の出来映えを意思表示しているかのように、大きく正面に飾られていた。
工場見学の申込もせずに、ぶらり旅と洒落込んで蔵元に顔を出して見たものの、流石に「予約なしでは…。」と断わられる始末。
これは、当然であって決して腹など立ててはいない。無礼なのはこちらであって、新酒搾りの忙しい時期に見学させろと言う方が失礼なものだ。
そこで、試飲場所でお酒の説明を受けることにした。
「最初にビデオを見てください」と酒造りの映像を大型テレビに映してくれたのは、若きお姉さま。
しかし、テレビのスイッチと同時に並べられる試飲の四号瓶。目に入るのはテレビの画像ではなく、並ぶ酒瓶に目が向かうのは、本能というもの。

2本・3本・4本…。まだ、まだ並ぶ。
芳醇なる純米酒「帰山」だけでも壱番、弐番と並んで番外の壱回火入れまで来れば7本は並ぶ、それ以外にも本家本元「千曲錦」。「吉田屋治助」まで並べば何本並んだのだろうか。
さすが、太腹の千曲錦さんだ。
小さなお猪口も回数飲めば、同じ事。しかも、朝の10時を回った時間、身体のアルコール濃度は春爛漫、体温調節ぽかぽか気分。頭の中はパカパカ状態。
いい気持ちになって、注ぎ続けること限りなく。それでも、僕の舌は健在だった「帰山の壱番・純米大吟醸・袋しぼり」は、絶品だった。
帰山ブランドの最高峰と銘打った言葉は、決してまやかしではない。実にいい出来だ。

香りに、酔わされ。味に魅了された「千曲錦酒造」。
「あっぱれ」な蔵であった。
蔵元の旅・長野県諏訪「舞姫酒造」に思いを馳せて

日本酒がこんなに美味しいと感じたのは、一本の日本酒との出逢いからだった。
出逢った日本酒は今まで見たことも、聞いたこともない銘柄の日本酒だった。その名こそ「舞姫酒造」翠露との最初の出逢いであった。
一升瓶の封を切ったと同時に広がる吟醸香に「なんじゃこりゃ」と驚いただけで、事は終わらなかった。口に含めば、その甘味と酸味の広がりに「うわ~」と叫んでしまった。
美味しいだけではない、あまりにも美しすぎる味だったのだ。
酒の肴など、全くいらなかった。
テーブルの上で封を切ったと同時に、まさに立ち飲み状態で「翠露」の味覚に翻弄させられたのだ。
それまでは、「酒は辛口だよ」と叫びながら、生酒も、生もとも何も分からず、ただ酒が好きなだけの飲み方だった。
しかし、その時から人生は変わったのだ。「翠露」の味わいを求めて、西へ東へ酒の旨さを求め歩いて、現在にたどり着くのである。
私にとって、「舞姫酒造」翠露との出逢いは、日本酒への果てしない旅の一歩を踏み出した、そのスタートだった。

その蔵元に、とうとう足を運ぶことが出来たのである。
「感動」という二文字が、私の身体から宙に浮いたほど、蔵の入り口に立った時、嬉しさが込み上げてきた。
その時、たった一人だったら涙ぐんだかもしれない…。
小さな、小さな蔵の入り口だった。でも、それが堪らなくいじらしく、謙虚に思えて、私はこの蔵が「好き」である。

扉をくぐれば、冷蔵庫の中に、「翠露」と「舞姫」がすまなさそうに並んでいた。
突然の来訪に蔵の奥から出てきた兄ちゃんは、いかにも蔵人風の人の良さそうな若者だった。
試飲に出したくれた味覚は、やはり丁寧な味だった。蔵の心意気がそのまま心に染み入る味わいとして伝わってくる。
大事に、大事に搾られて風味が飲み手に喜びを味合わせてくれる。
この蔵が、民事再生法の申請がされたとは、今でも信じられない。
兄ちゃんに一言声をかけてみた。「どう、大丈夫?」
胸を張って「大丈夫です」と返って来た言葉に、重みがあった。この言葉ある限り、「舞姫酒造」は健在だと心に刻んだのである。
諏訪湖の周辺には、数ある蔵が沢山ある。
しかし、しかし私は「舞姫酒造」が一番好きである。
守りたい、どうしても守りたい蔵である。
黒糖焼酎「富田酒造場」

3日間に渡る黒糖焼酎の勉強も本日が最終となった。
その最終日にどうしても気になった事があった。「甕(かめ)仕込みの焼酎」が見てみたい。その思いである。
たまにテレビでも見ることがある、大きな甕に仕込まれている焼酎の製造方法は、奄美大島にはないのだろうか?との疑問である。
「里の曙」も「れんと」もオートメーションの近代的な製造方法であるから、手作業で人の手のかかった醸造の雰囲気はどうしてもつかめない。
そこで登場するのが、地元の案内譲「みっこちゃん」。予定外の酒造会社を紹介してくれた。
富田酒造場である。
富田酒造は、奄美市(旧名瀬市)の繁華街のはずれにある。ただ、正直言って何処が繁華街の外れで、どこが中心だかわからないのではあるのだが、説明では外れのようだ。
決して大きくはない、酒造場であった。しかし突然の訪問にもかかわらず。「どうぞ」と快く醸造の説明をしてくれる。

コンクリートで固めた地中に大きな甕が埋め込まれて、一次・二次仕込みは、三石甕(さんごくかめ)を使用しているのだ。

三石甕の中に、もろみとして発酵を続ける黒糖焼酎が生き続けている。
「たまに、甕の底が割れるんですよ」なに、そんな事もあるのか?と問い返すと「中覗くの冷や冷やもんです」と…。
そんな苦労の結果、年間製造は400石程度と謙虚に説明してくれた。
一升瓶で4万本。確かに「里の曙」や「れんと」とは比べ物にならないほどの少ない量だ。それでも「ゆっくりやりますよ」それが「親分の考えだから」と4人で切り盛りする小さな会社の姿が見えてくる。
最後に試飲をさせてもらった。
黒糖を舐めながらクイッっと飲んだ「龍宮」は、黒糖焼酎では珍しい黒麹仕込みである。
奄美大島の原生林の秘境・金作原(きんさくばる)の水は、「龍宮」をさらなる旨味に引き立てていた。


